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一口法話


道元禅師さまを偲ぶ感動の旅

投稿日:2009年05月26日

はじめに
大雄寺さまのお誘いにあずかり、曹洞宗開祖道元禅師750回忌記念5日間の旅に参加することができた。
大雄寺さまのお知り合いである殷勤先生にご案内をいただいたので、各寺院では特別の受け入れをいただくことができた。殷先生は杭州市仏教協会の重鎮であり、仏教研究員として永平寺とも深い係わりがある方である。
殷先生は永平寺に所用があって訪日された機会に大雄寺までお立ち寄りになり、今回の旅について事前説明をしてくださった。流暢な日本語には驚かされるとともに、殷先生にご案内いただけることに大きな喜びと希望を抱くことができた。
中国の各寺院に行くと重要な建物には参拝者の立ち入り禁止を意味する「遊客止歩」標示が数多くあった。ごったがえするような参拝者達が不思議そうに見守る中を、私たちは寺の案内僧と殷先生の後に続いて「遊客止歩」の建物に入っていくのである。また、客堂に案内され、茶菓の接待を受けながら高僧からお話を伺うことができたのである。

参拝した禅寺について

[雪竇寺]
寧波から二時間ほど走ると静かな町並みに入る。蒋介石総統の故郷である。バスは曲がりくねった坂道をどこまでも登っていく。眼下には浙江省の雄大な平地が見え隠れする。全く人家のなかった山道を登りつめると忽然として大きな寺院が姿を現した。「天下禅林十大名刹 雪竇寺」である。開山以来千六百年の歴史を誇り、僧侶60人を擁する名刹である。住職は32歳にして中国仏教界の要職の地位についた名僧である。この名刹もご多分にもれず文化大革命で破壊され改革開放後に再建された。
大雄宝殿に安置されている「南無娑婆世界本師釈迦牟尼仏」は1998年8月に建立された。大きな大きなお釈迦さまであった。

[阿育王寺]
建立より1720年、広大な敷地に仏殿・法堂など多くの伽藍や塔が雲をつく老松に囲まれ、折からの霧の中に浮かぶ姿は荘厳そのものであった。日本の管長職に当たる釈界源住持さまのご説明によると寺は文化大革命で破壊されたが改革開放政策後は国費によって最初に再建された寺である。現在は120人の僧が修行中で総勢250人が住んでいるという。
住持さまのお声は客堂に吸い込まれるような静かな語りかけであった。
奥の院に行くための階段は百段にも及んだ。もうここには[遊客止歩]も撮影禁止を意味する「禁止摂像」もフラッシュ禁止を指す「禁止拍照」の標示もなかった。ごく限られた人たちが昇殿を許される崇高な場所であり、参拝者が近寄ることができない聖域なので、それらの掲示は全く必要がないからである。全員が大雄寺からいただいた輪袈裟をかけ、足音をしのばせて最上階に上がって履物をぬぎ、お釈迦さまの前に座った。50センチほどの銅製の体内に青白く光るものはお釈迦さまのお骨(仏舎利)であった。
大雄寺ご住職と殷先生が般若心経を唱えられ始め、全員合掌して礼拝した。身の引き締まるひと時であった。殷先生のお計らいによりフラッシュ撮影も許された。ちょっと厚かましいかなと思ったが、高僧のにこやかなお顔を拝見してほっとした。
昼食には時間をかけて調理した精進料理をいただき一同大喜びであった。


▲阿育王寺にて

▲住持と懇談

[天童寺]
明の時代に遣唐使19回、遣隋使4回が上陸した寧波からバスで50分程の所にる今回のハイライト天童寺。天から童子が舞い降りてきたことからこの名が付けられたという禅寺である。
道元禅師は寧波からこの地を流れる小白川を逆上って天童寺に入られたという。
その川のある小白村に来ると、樹齢千余年は経っているであろう「万松狭道」と称せられる赤松の並木が参道沿いずっと続いている。樹間に余裕があるので、どの松も文人模様で、盆樹の手本になりそうな風情を醸し出している。寺の坂道沿いにはみかんもたくさん植えられていた。
天童寺には1700余年の歴史があり、中国の仏教名山古刹として禅宗五山のひとつに列せられている。広大な敷地に700もの伽藍を有し、仏殿・法堂・天王殿・先覚堂や七重の塔などがひときわ際立った大きさである。
法堂に入ると、お約束通り5人の高僧のお迎えを受けた。大雄寺ご住職に託された多数の写経がみ仏の前に奉ぜられ読経が始まった。全員が輪袈裟をかけ、ひざまづいて合掌し礼拝した。長い長い読経でした。私は妻の遺影をそっと取り出し身の前に置き、こみあげるものを押さえながら礼拝を続けた。身のひきしまるような荘厳な雰囲気が堂内に満ちていた。
同行した何人かのご婦人が深い感動を受け涙したという話を後で耳にした。
「日本道元禅師得法霊蹟碑」の前を過ぎ応供堂(客殿)に通されると天童寺監院であられる修祥老師さまがお待ちであった。お話によると寺は洪水・火災・内乱などで六回も焼失し現在の姿となったという。文化大革命では強制的に農村に移され、1980年に寺に戻ったときは30人の老僧だけで、そのうち現存しているのは5人しかいないそうである。修祥さまは大革命期を除いて48年間、監院になられてから20年を経っている72歳のご壮健な方であった。
寺には通常500から600人の僧が住み修行・教化に励んでいるということである。日本の曹洞宗信徒が毎年数千人参拝に来ること。日本と中国の信者が交流を深めることが大切なことなど熱心に話されていた。
大雄寺の写真をご覧になって「かや葺き屋根で風情がありますね」とにっこりされた笑顔は仏様そのもののようであった。
同行した仲間が「来てよかったね」と話し合うありがたい参拝であった。


▲天童寺

▲写経納経法要

[浄慈寺]
五山のひとつに挙げられている名刹である。道元禅師の師如浄禅師さまのお墓は苔むした石段を登りつめた所に西湖を眺むようにひっそりと建っていた。1986年に日本曹洞宗から寄贈された大梵鐘を一人ひとり撞いて祈った。鐘の音は西湖に鳴り響いたことであろう。


▲ 如浄禅師の墓

[霊隠寺]
風光明媚な観光地として名高い西湖を高台にある霊隠寺は、1600年前にインドの僧である慧理が開山した。五山十刹に列せられ、修行僧120人を擁する禅寺である。想像を絶する広大な敷地を有し、寺の大駐車場からは歩いて2キロメートルもある。門前に停車しても長い坂道や石段を500メートルも息を切らして登らなければならない。
大型駐車場から続く参道にはさまざまな土産物の売店が並んでいる。寺の特別許可を得ている私たちのバスだけが、曲がりくねったその参道をゆっくりと進み境内にまで乗り込むことができた。寺専用の木戸をくぐり抜けると、広場には数百人もの参拝客でごった返していた。
客殿に通され副住職に当たる慈舟監院から大雄寺様一行を歓迎しますとの挨拶の後、寺の説明を受けた。寺には、日本の僧侶が数多く禅を学びに来ることやご本人も10月には永平寺を訪れたこと。現在90歳の老師は88歳の誕生祝いを日本で行ったことなど日本との交流の深さについて語られた。
霊隠寺も他の寺と同様、何度も興亡を繰り返したが、文化大革命の時は監院の知恵で、重要な品々を毛沢東の絵で覆ったので、国宝として工兵隊が寺を守り破壊から免れることができたそうである。説明の最後に、本日は90歳の老師が来るわけであったが所用ができたのでお詫びに記念として菩薩彫りをあげましょうということで大雄寺ご住職に贈られた。
寺を拝観すると天王殿・輪蔵殿・伽藍殿・法堂・五百羅漢堂など多くの殿堂がある中で、ひときわ高い大雄宝殿には金箔を貼った釈迦牟尼仏像が安置されていた。
私は、殷先生にお願いしておいた木彫りのお釈迦様を求めるために寺の売店に向かったが、同行してくださった慈舟老師さまがあれやこれやと手に取って見比べてくださり、希望する大きさの中から選んでいただくことができたので最高のおみやげになった。


▲監院老師と懇談

▲霊隠寺

おわりに
30余国を旅し、中国も3回目になる私にとって、今回の訪中はひと味もふた味も違うものであった。5日間の旅でショッピングは友誼商店での一回のみ、それも僅か50分。私の買い物は霊隠寺で求めたお釈迦さまと友誼商店で自分名を記入してもらった小さな飾り物と上海博物館で孫たちに買ったキーホルダー類だけであった。機内持ち込みのショールダーバックしか持たない私は、上海空港でチョコレートをたくさん買い込みバックに入れたが、それでも満杯にはならなかった。
しかしながら、心に残るおみやげは持ちきれないほど重く、そして大きかった。高僧のお話や参拝を通じて深く感じたことは、寺と信徒の信頼関係を深めることの大切さ、親に孝行をつくし、年長者を敬い、感謝し、奉仕する心、さらに思いやる心の大切さ。何かそれらを日本人は忘れかけているのではないだろうかと思いをはせる旅でもあった。儒教が人々の生活に深く根付いていることが感じられた。
上海での最後の夜に一言ずつ感想を述べ合う中で、異口同音に出た言葉は、「最高の出会い、最高の触れ合い、最高の雰囲気」であったことの喜びであった。
宗教関係のツアーを扱うことの多いアイティピーツアーズの企画もよかったが、最後に感想を述べられた殷先生のお言葉をお借りして「道元禅師を偲ぶ感動の旅」を結びたいと思う。

「道元禅師さまが中国を訪れなかったら、今回の出会いはなかったでしょう。今後も出会いを大切にしていきましょう。」

合掌


▲道元禅師入宋記念碑

▲銭塘江の大逆流

▲記念写真


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