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一口法話


食べるということ

投稿日:2006年07月15日

挿し絵 先日大雄寺である専門学校の学生(18~20才)20名程の研修が行われた。
坐禅や法話、掃除、食事作法の実践で、自己を見つめ身と心の修養の場としてであった。
雑巾掛けや掃き掃除、慣れない手先で廊下拭きや竹箒で山道を掃く、彼らの今の生活ではこのような掃除は生まれて初めてのようで、幼子のように拭き方や掃き方を教えられるのである。
これも致し方ないものと考える。

しかし、食事については、大人としてわきまえているだろう、箸の持ち方や食器の並べ方、食べ方などは。
ところがそうではなく、食事中に席を立つ、肘をつく、器を持たないなど、正しい食べ方や躾の欠如がはなはだしいことに驚いた次第である。
食べるということは、食べ物は人間と同じように生命を持つ野菜や肉や魚などを食すること。
私たち人間は、他の動植物の生命に支えられながらその尊い犠牲の上に成り立っている。
だから、感謝し、粗末にしないで正しいマナーで食べなければならないと教えられている。
「生命(いのち)をいただきます。」とあいさつして頂戴しているのではないでしょうか。

ある学校の先生から、給食の一場面を聞き考えさせられた。
土曜日の弁当持参を親からの手作り弁当とコンビニで買った弁当では、子供たちの食べることに大きな違いがあるという。
手作り弁当は、食べ残しが少なく、弁当箱を元どおりハンカチで包み家に持ち帰るのだが、コンビニ弁当は、残すことが多く食べ残しを袋に入れて手で丸めてゴミ箱に投げ捨てると言う。

手作りされた弁当に親の愛情が込められた、目には見えない心が、子供の心にいつのまにか響きわたって育っていくのである。
一方、買い与えられた弁当には、「生命(いのち)をいただきます。」と感謝する心が育たないのではないだろうか。

 

大雄寺住職 倉澤良裕 記す


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